38歳の現役スプリンター末續慎吾の挑戦

NHKで9/15及び9/20に放送された

アスリートの魂」・『38歳 未知の走りへ〜陸上・末續慎吾〜』回の

内容を基に書いた感想記事です(・×・)

www4.nhk.or.jp

まだやってるのか、そんな驚きの声が聞こえてきそうだ。
桐生祥秀山縣亮太など陸上界は若手の台頭に沸いているが、かつての時代を築いたスプリンター末續慎吾も、いまだ現役として走り続けている。
現在38歳である。

 

2003年の世界陸上200mで3位となり、短距離では日本人で初めてのメダルを獲得した。

過去に一度休養宣言してブランクを挟み、2017年に9年ぶりに現役復帰した。
日本選手権の決勝まで残り、最下位となったものの記録は10秒台と健在である。

 

最近では、今月23日に行われた大会『全日本マスターズ陸上』35~39歳の部において10秒95の記録で優勝し新たな境地を見せている。
己の年齢に向き合いながら走り方を模索しつづけ、ボクシングなどの異業種からも陸上に活かせる動きをトレーニングに取り入れる。
どんな練習で効果が出るのか。アンチエイジング理論のメソッドを理解する先導はいない。
末續慎吾はまたも短距離界のパイオニアとなっていた。

 


コンマ1秒が勝負を握る短距離の世界では、スタートダッシュからいかに加速できるかが前半の走りのポイントだ。けれども加齢と共に神経は鈍っていってしまう。
その対策として、ピストル音を模した手拍子に素早く反応する練習を取り入れた。
しかし反応への感覚を研ぎ澄ませすぎたことで、その神経伝達の早さに筋肉が対応しきれず、太ももに痙攣が起きてしまった。

 

またある日の練習。
「正座をするときの骨盤の状態が日本人の体格に合っているのではないか」
「気配を消す忍者のように無駄な力を抜けば、加速を殺さない走りができるのではないか」
理論を自分なりに導いて実践していった。


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骨盤の角度を意識したことで、実際の姿勢が改善された。
そして次に出場した試合で脚の痙攣は起きなかった。

彼はひとつ手応えをつかんだ。

38歳、その肉体に適した走り方を知っていく。
己の肉体のみで勝負する世界だからこそ、そこに達するには微細な感覚まで調整する技術が求められる。

 


末續の全盛期といえる2003年、得意の200mで20秒03の日本新記録を樹立した。
100mでも日本新記録・初の9秒台の期待がのしかかる。走り終えた後に聞こえるのは落胆のため息であった。

2007年、大阪世界陸上。自国開催で国民もマスコミの期待もおおいに高まるなか、結果を出すことは出来なかった。

北京五輪の4×100mリレーで銅メダルを獲得した2008年も、栄光の陰で自分を見失っていた。
走り終えても、何も感じなくなってしまったのだという。
食事すらただの"エサ"、義務のようになっていたと彼は語る。

 


現在の末續はスポーツ全体の未来をも見据えていた。
勝利至上主義から抜け出し、楽しいと思うこと。それを発信していかなければ2020年の東京オリンピックは誰も救われない、と危機感を口にする。

彼は走ることを語るとき、しばしば「かけっこ」という言葉で表現する。
走ることが純粋に楽しいことでありたいのだ。

 

インタビューの中で、そんな末續が体現しているのは「アスリートの自由」なのだと語った。

その思いを、こんな言葉で続けた。

アスリートは勝ち負けを選ぶことができる。
勝ち負けをどう捉えるかは(その人の)自由。

 

休養期間に後輩の走りをテレビで観ながら、自分の居場所もそっちにある、と走る意欲が蘇った。彼はトラックに戻ってきた。

後半で失速し、 最下位でフィニッシュしても、その表情は充実感に満ちている。

 

今回のインタビュアーは、末続より5歳年下で既に現役を引退しているフェンシングの太田雄貴選手。
聞き手が彼であったこと、つまり記者やキャスターでなく元競技者であったことがベストチョイスといえる。
上の末續の言葉を聞く太田の目は潤んでいるように見えた。
同じスポーツマンとして心に響くものがあったのだろう。彼もまた進退について色々な考えを巡らせ、悩んできたのだろうか。

 

第一線から退いたとしても現役にこだわる選手。
勝利を収め、有終の美を飾って去る選手。
停滞から抜け出せずにやむを得ず引導を渡した選手。
それぞれが、それぞれの価値観で決める選択を、観る者が咎めたり非難することなどできない。


年齢を重ねたら引退。○○歳が競技生命のピーク。
スポーツ選手に当然のごとく当てはめられる固定観念。陸上選手には特に顕著だ。
日本人は短距離のメダルは取れない。国際大会で優勝はできない。黒人に比べ体格・ポテンシャルが劣っている。
末續慎吾の競技人生は、そうした見えない概念との戦いだったともいえる。
それらを振り切って、誰も通ったことのない道を走る彼はその勝負にもう勝っているのだ。
否、もはや勝ち負けとは違う場所に居る彼は、走りを追求する楽しさを全身で魅せてくれている。