将棋と人格形成
前回記事で紹介した、棋士の実話を基にした
映画『泣き虫しょったんの奇跡』を観て
感じたことの続き。
将棋って、あらためて特殊な競技だと思う。
- 「負けました」という言葉で終わること
- 「感想戦」が試合の中に組み込まれていること
この2つが他にない大きな特徴といえる。
将棋には、これ以上指す手がなく試合を進められない状態、
つまり“詰み”という、明確に勝敗がつくフェーズがある。
敗者は「負けました」と口にすることで自らピリオドを打たなければいけない。
(実際の試合は確か「参りました」などの別の言葉でも良い)
なんという屈辱、と正直思ってしまう。
見ているだけでも辛いのに本人の悔しさはどれほどのものだろうかと。
しょったん少年は負けて人目につかないところで涙をこぼした。
でもだからこそ、この負けが人を強くし、次に向かわせてくれるのだと思う。
うまくいかないとついついその悔しさから逃げてしまいたくなることがあるけれど、
認めることで、自分の弱さと向き合うことができる。
そういう心の土壌が育っていくのだろう。
映画の中で、幼い頃のしょったんが将棋道場での試合に負け、
「詰んだぁ〜」と落胆するシーンがある。
そこに、おじさんが「負けました、と言って相手に頭を下げるんだ!」と一喝する。
自分とは年齢のかけ離れた人々と交流する、学校とは違うもう一つの小さな社会で、こうして人間的にも成長していくのだろう。
そして大人相手に「負けました」と言わせることのできる喜び。
日常の世界ではまず経験できないわけで
少年がメキメキと強くなっていくのもうなずける。
「負けました」と勝敗がついたあとも、これで終わりではなく、
感想戦という時間が設けられている(こちらは勝敗には関与しない)。
負けた側はどの段階の指し手が悪かったのか・どんな手ならよかったのかを
話し合いながら検討していく時間である。
こうすればもっと良くなる、って考えてちゃんと言葉にする。
失敗は悪いことじゃない。振り返ることが大切なんだ。
子どもながらにこういう経験ができることってすごく貴重だと思う。
昨今の将棋ブームはもはや、おじさんの娯楽などとは言わせない。
将棋は先を読む力が要る。頭がよくなりそうな性質があるけれど、
それだけでなく上に挙げたような、教育的な側面も強く持っていることがわかる。
それは幼い子どもに限らず、
人間として、すべての人に大切なこと。